夢は愚かな避難所

一生見られそうもないものなど、見たいとも思わぬ。

口笛とシャボン

沖縄→大阪で1週間だらだらして帰京。

起業に遊びにと忙しそうなイケメン、(女を喘がせるより先に)社会人としての自分のふがいなさに喘いでる童貞、役所勤めですっかり「おっさん」然としている元ハイスタ狂、彼女とのペアリングを恥ずかしげもなくつけている、かつてワンダーというあだ名を持った男。そういう友人たちと沖縄で再会。

 

 皆自分なりの価値観や信念に満ちているし、そうでなくとも迷いながらそれらを確保しようともがいていた。毎日が波乱に富んでいるあいつも、単調な日々を確実にこなしている彼も俺に対して「お前は本当変わらないなあ、嬉しいよ」と感想を述べた。

 

沖縄から大阪に寄り道して、今日東京に戻った。

 

品川で下車しようと一号車(自由席)の最後方の出口で待っていると、俺の顔を見て男の子が口をパクパクさせているのに気付いた。Arctic Monkeysの''corner stone"が流れるイヤフォンを耳から外すと、彼が「……今日も東海道新幹線、ご利用くださいましてありがとうございます。この電車は……」と言うのが聞こえた。やけに目が座った彼から視線を逸らして再びイヤフォンを耳に突っ込み、彼はこのアナウンスを何度も繰り返したのだろうなと思う。

 

そういえば俺も小学生くらいの時は、何度も何度も桑田佳祐の「東京」を口笛で奏でていた。確かに俺としては「奏でていた」のだけれど、子供が覚えたての口笛で同じメロディーをぴーぴー鳴らしていたら、それを四六時中聞かされる母と妹はたまったもんじゃない。彼女たちは何度も「いいかげんにしてくれ」と俺に言った。それでも覚えたての口笛という楽器に魅せられた俺は、それこそ唇や頬が痛んでも延々と口笛を吹いた。

 

車掌の真似をする彼の母も彼のアナウンスに対して「いいかげんにしてくれ」と言うのだろうか。言うんだろうな。

 

エンドレスぴーぴーの他にも、入浴中にボディーソープで泡を立てて無数のシャボン玉を作る遊びを延々2時間やったりしていた。これがリフティングやピアノレッスンだったら今頃もう少し違った人生を歩んでいたのかもしれないけれど、運が悪かったとしか言いようがない。

 

この偏執狂的反復の習性が失われたのはいつからだろう。多分中学生に入ってからだろう。思春期の少年らしく人目を気にするようになった俺は、中2病には罹患せず、社会的に価値のある行為だけをやらなくてはいけないと盲目的に信じ、自分が感じる心地よさ、口笛の快感や綺麗にシャボンを飛ばせたときの達成感をないがしろにした。かと言って好きでもないリフティングやピアノレッスンに励むほど俺のメンタルは強くない(実際小学校低学年まで習わされたピアノはレッスンの日になると「脳みそが痛い」と訴えて休ませてもらったし、部活のサッカーに至っては休日練習が苦痛でしょうがなく説得する父の前で大泣きをかましてみせたこともある)。

 

無数のシャボンに囲まれながら口笛を吹きたいと心から思う25回目の晩夏。