ヒモっぽくて自分の言葉を持たなくて自縄自縛で人生を舐めている男が書いたよ
こないだチラッと見た坂上忍の冠番組でモノマネ芸人たちがモノマネの極意をレクチャーしていた。
で、気づいた。
モノマネの基本は、まず自分にある程度似ている声や姿かたちを持った人を真似るというもの。
というかそんなことはもちろん昔から俺自身知っていた。でも、腑に落ちたんだよな。つまり就職活動っぽく言っちゃうと、モノマネにも「適性」があるということ。
今日たまたま「ガキ使」を見ていたら、ドランクドラゴンの塚地が色々なキャラを演じてレギュラーメンバーを笑かすという企画をやっていた。
そこで気づいたのは、塚地の演じるキャラクターが全て彼自身の体格を生かしたものだったということ。太ったおっさんや、太ったグラビアアイドル、太ったクラブの女、全部「太った」見た目だからファースト・インプレッションでちょっと笑える。
思春期がはじまったときから、あるべき自分像と現在の自分の乖離によって俺は悶々とさせられていた。
あるべき自分像ってのは、ほらあれよ、健康的な肉体とある程度の運動神経と大いなる感受性と充溢したサブカル知識を持て余し、物憂い雰囲気で女をたぶらかしまくる男よ。でもそういうの無理なんだよね、もう。
だって運動嫌いだし、食べるの好きだし、飽き性だし、どっちかと言うと躁鬱的だし、「一途」だから。
阿部和重が小さいころブルース・リーに憧れていた、みたいなことを俺は今なおやっているってわけ。滑稽千万。
就職活動の出発点、自己分析っていうのを馬鹿にしてきたけれど、そういうことをして適正を見極めないと、もうこれからどんどんどんどん道を見失ってしまう。
だからね、最近は人に「俺ってどんな人?」ってかったるい質問を遠慮なくしている。
するとどんな答えが返ってくるか。
「ヒモっぽい」
「バリバリ稼ぐタイプではない」
「人の言葉ばかり借りてくる人」
「自縄自縛で本気で苦しがっている」
「人生を舐めている」
そんなとこ。
でももう24歳だし、考えたり自己分析したりするより、ひとまず働くなりボランティアするなり社会にコミットしながら「適性」なんて贅沢なことは考えたら?って皆思うよね。その通り、俺はこうやって悩んでいるふりして、辛苦を先送りしてるだけ。わかっててやってるからなお一層質が悪い、のかな。