夢は愚かな避難所

一生見られそうもないものなど、見たいとも思わぬ。

じぶんじゃないみたい

髪を切った、約2ヶ月ぶり。ただでさえ髪が伸びるスピードがはやいのに、あんまり美容室が好きじゃないおれは、もさもさになってようやく髪を切りに行く。本当に腰が重い。

おれは人よりも髪が伸びるのがはやいと思っているけれど、それはどの人と比べているのだろう。誰かの髪の伸び具合をチェックしたことなんてないのに、おれは勝手に「じぶんの髪は伸びるのがはやい」と思い込んでいる。
美容師に言われたことがあるのか?いや、美容師に「だいぶ伸びましたね」と言われるとおれは、伸びるのがはやいんですよ、と返していた。でもそれってただ単に美容室に定期的に通っていないからではないか。美容師はもちろんそんなこと指摘はせずに「そうですねえ」と返すが。いままでじぶんの髪のもさもさを、髪の成長のせいにしていたけど、本当は違うのかもしれない。定期的に美容室に行き、いつものスタイリストに「おれって髪伸びるのはやい方ですかね?」と聞けばわかることだろう。


きょう、出来上がりを見せてもらったときに思わず、「じぶんじゃないみたい…」と言ってしまった。それは半分リップサービスだったけど(きょう担当してもらった人はたぶん美容師としてお客の髪を切り始めてまだまもない女性だった、女性だったから、と、まだ若手の緊張感あるひとだったからってのがリップサービスの理由だ)、半分は本気だ。リップサービスしようとは思っていたけど、ここまでのセリフを出すつもりはなかった。本当に、気持ちが、上がったのだ。あの瞬間おれは「女子」だった。じぶんが好き。

こんなことは久しぶりだった。久しく忘れていた感覚だった。最後にじぶんのことを好きだと思ったのはいつだっただろう。
上がった気持ちは家に帰ってつむじを確認したときに元に戻ったのだけれど、これは美容師のせいではなく、おれの不摂生からくるつむじハゲ疑惑が原因(心気症のきらいもある、いや、でもやっぱり……)。

とにかく、髪を切ったおれは、おれを少し好きになった。オシャレしたいと思った。いろいろまたがんばろうと思った。

元々おれは多少ナルシストである。じぶんの顔が好きなわけではないが、整っている方だと思っていたし、じぶんのしゃべる言葉はそこら辺のひとよりもおもしろいと思っていた、ある種のユーモアセンスがあると思っていた。文章を書くことは好きではないが、じぶんの文章が好きだ。ファッションセンスも悪くなかったし、歌はぶっちゃけうまい方だ。女の人に好意を抱いてもらうこともあった。
しかしいつからか、おれは本気で自信を無くしてしまっていた。上には上がいるというのは知っていたけれど、おれより下だと思っていたひとたちがおれより上になっていることが増えてくる。
「努力」である。努力している人間はそれ相応に変わっていっている。成長している。

じぶんがそこそこ好きだったから、現状のじぶんに甘えていた。その間、じぶんのことを好きじゃないひとたちは、努力してなりたいじぶんに近づいていっていた。

じぶんのことを好きになれないひとに憧れた。そのままのじぶんが好きなら、それでいいじゃん、と彼らには言われるだろうけど、じぶんのことを、おれは嫌いになりたかったのだ。じぶんが嫌いで努力してじぶんを好きなろうとする姿は美しいから憧れてしまうのだ。ないものねだりだろうか。でも、そういうのってあるでしょ?わかるでしょ?コンプレックスのある人間の方が強くなれると思ったのだおれは。馬鹿だったのかなやっぱり。


でもそうやって自堕落に過ごして嫌いなじぶんをつくっていくと、いつの間にか心からじぶんのことを嫌いになっていく。本当に、心底情けないのだ、じぶんが。


でもきょう髪を切って気分が上がった。多分おれは落ちるとこまで落ちたのだ。もう十分だった。

おれの文章は、おれ以外の人間にとっておもしろいものではないし、おれの歌声は、おれ以外の人間が聞きたいと熱望するものではないし、おれの容姿は、すれ違った見知らぬひとが振り返るほどのものではない。おれは大したことない。もうそれは徹底的に。完膚なきまでに大したことない、いや、はっきり言ってちっぽけだ。この小さい島国の中でもっともダメな部類の人間だ。ニート


また明日も髪を切りたいくらいだ。じぶんじゃないみたい、がこれからたくさん降りかかってくるとしか思えない。じぶんなんて次から次へと脱ぎ去っていったほうがよほど気持ちがいいのかもしれない。じぶんでつくりあげた嫌いなじぶんを一枚一枚剥がしていって、リップサービスじゃなく心から「じぶんじゃないみたい」とじぶんにうっとりしたい。