夢は愚かな避難所

一生見られそうもないものなど、見たいとも思わぬ。

思い出せない

あのころってことごとく忘れていく。にっちもさっちもいかず、だれにも助けを求められず、ベッドに横たわっていた日々、あのとき考えていたこと、あのときの倦怠感、あのときの未来、ひとつも覚えちゃいないような気さえしてくる。

 

でも、未来がなにもないっていうのはある意味爽快だったようなおぼえ。まっさらな未来、可能性はゼロのようでもあり、無限のようでもあった。ゼロ=無限の世界のなかで、じっとしていたあのころがすこしなつかしい。

 

なにもしないってことができたことに驚く。なにもしないができなくなった。かなしいことだ。

 

 

書くことを仕事にするようになった。今、おれがやっている書く仕事は当時描いていたものとはまったく違うような気もするし、当時はなにも描いていなかったような気もする。想像することすらできなかったような幸運に恵まれ、いろいろな記事を書いてきた。けれども、おれはそのどれにも納得がいってない。恥ずかしいことだけれど、おれはどの記事も全力で書けなかった。いちばん憧れていた大森靖子へのインタビュー記事ですら。情けない。ほんとうに情けなくて、誰にも言えなかった。時間に追われて必死でやった仕事はいくつかあるけれど、自分の納得できるまでとことんやる、というスタンスで仕事に望んだことはただの一度もなかったかもしれない。

 

仕事が向いてないんだろうか。仕事への向き不向きだけではない。仕事相手へのリスペクトがまず欠けている。自分に仕事を与えてくれた人、仕事に協力してくれた人、おれの仕事に理解を示してくれた人たちへのリスペクト。そしてなによりも、自分を裏切らない、という気持ちがおれには欠損している。
やれるだけのことはやった、という気持ちが、最低限の自尊心を担保するのだとおもう。やれることをやり抜いてないという自覚が、おれを徹底的に萎えさせていった。自分のやる気は自分で愛撫しなくてはいけなかった。

 

泣き言のほうが筆が乗るなんて、みっともない。前向きなことが書けない。うじうじしているのはラクだ。反省しているふりばかり様になるけれども、いっこうに進歩が見られないと、「ふり」はバレる。毎晩同じベッドで寝る妻が、おれにもう期待していないことを実感するのは思いのほかこたえる。

 

ひさしぶりにここをチェックしにきたら、ブログ立ち上げ以来なんだかんだで毎年最低1回は更新していたので、この年の瀬の深夜に書いている。ソファに横たわって書いている。本棚からあふれだした書籍、妻が納会から持って帰ってきた氷結レモンの空き缶3つ(ぜんぶおれが飲んだ)、消灯したクリスマスツリー、畳んだまま片付けることなくフローリングのうえに放置した洗濯物、天井の高いリビングルーム、エアコンの電源はついさっき切ったばかりなのに、もう冬の冷たさが忍び寄ってきている。

 

 

人と関わるほどに、自分の醜さを知るんだなと実感した年だった。期待や信頼の貯金を日々削りながら、なんとか生きている。いつか、すべてから見放されるときが来るのかもしれなくて、その予兆に気づいたらおれは、自分から手放すんだろうなとおもう。

 

 

文章がどんどん下手になっている。このブログを頻繁に更新していたときは、「じぶんの気持ち」なんてものがあまりなかった。だからすらすらと書けた。じぶんの気持ちを言葉にするのはほんとうに難しい。その文体を獲得することに一生をかけてもたどり着けなかったらくるしい。

 

いまは、じぶんの気持ちに溺れている。28年生きてきて、もっとも音楽に頼った一年だったとおもう。音楽に慰めを求めていた。暗い夜道、イヤフォンから流れる音楽に涙し、ライブに行けば嗚咽した。そんなふうに音楽を聞けるようになる日を、4年前のおれは待ち望んでいたようにおもう。音楽に救いを求めている。音楽は助けちゃくれなかったけど、慰めてはくれる。

 

 

いまの俺はいまだかつてなく生きている。生きるのは苦しい。みんな、こんな苦しい思いをしていたから、音楽にすがっていたんだね、大変だったな。おれは28歳にして1年目だったから、とても新鮮な気持ちだったけれど、音楽にすがらなくては生きていけないような日々が何年も、何十年もつづいたら、きっと音楽の効能にも慣れてしまうのではないか。そんなこともないのだろうか。

 

 

 

どうして、書きたい、なんておもってしまったのだろう。書きたい、なんておもったこと、やっぱりない。書く人になりたいとおもってしまったのだ。でも、そのきっかけだっておもいだせない。なんとなくおもってしまったことに、何年もとりつかれている。この呪いはいつからどうやってはじまったのだろう。もうなにもおもいだせない。