夢は愚かな避難所

一生見られそうもないものなど、見たいとも思わぬ。

『愛のむきだし』メモ

やっと園子温の『愛のむきだし』を観れた。4時間近くある映画だからずっと避けてたんだけど、やっと。これは園子温らしさが本当に出てる作品なんだろうな、5本くらいしか園子温作品観てないからそういう言い方が正しいのかは甚だ心許ないけど。

 

母の死に始まり、父の神父への転身、父の恋人との同居、父の失恋、それに伴う特殊な父からの虐待、(神ではなく)父に愛されたいがゆえの非行……これだけのストーリーを描くのに一時間かかってないどころか、プロローグでしかない密度の濃さ(プロローグとはいえ40分以上あった気がするが)。かといって重苦しくないどころか、全編苦笑、失笑を誘う勃起描写や盗撮アクション、満島ひかり板尾創路に届かない粘っこい唾液、渡部篤郎の緩急、「ドルーグ」には似ても似つかない四人組のかわいい不良集団、痛みのないパイプカットなどなど飽きさせないというか、飽きれてしまうほど漫画的な(と言ったら漫画好きには嫌われるんだろうな)画がパラパラパラパラ流れていくから、あっちゅうまに時間は過ぎる。

 

多分今までの俺だったら「映画なのに言葉が多すぎる、画で見せろや」なんてしたり顔で言ったりしたんだろうけど、これはあくまでもキリスト教・聖書を軸にストーリーが展開していくから、言葉の映画として見ようという気分にさせてくれる親切なつくりだった。言葉の映画ってのはあるよね、基本的にはそういうの頭に入ってこないから苦手だけど。

 

しかし『ヒミズ』を観た後だからかわからんが、安藤サクラのポジションはどうしても必要だったのかが解せない。安藤の内面を中途半端に描いてふわふわさせるよりは、満島ひかり西島隆弘の二人を描くだけに止めて安藤サクラは内面のないモンスターとして描いておいた方が怖ろしいし二人の愛のむきだしに集中できるんじゃあないか。あとはあれね、解釈の余地がほとんど残ってないのが息苦しい。あんだけユーモアぶち込んでんだから最後は勃起ショットで終わってもいいと思う。そこは西島の疾走シーンをどうしてもぶち込みたいからなんだろうな、と思うけど(『地獄でなぜ悪い』の長谷川博己の疾走はすごく良かった)。

 

吉高由里子といい満島ひかり二階堂ふみ、まあ神楽坂恵も含めて女優をこれだけ魅力的に撮ってしまう園子温はとにかく素晴らしいってことだけで、この人がいる意味はあるよね。しかし安藤サクラすらエロく見えてしまうのはもうこれはどうしたことか、俺もサクラちゃんに首筋舐められながらピーナス握られてみたいわ、一回でいいから。