夢は愚かな避難所

一生見られそうもないものなど、見たいとも思わぬ。

《イワシフライ=アジチーズフライ-チーズ》

日高屋のイワシフライ定食、なぜか食べたくなった。イワシフライにポテトサラダ、そしてギョーザ6個がついて670円という代物だ。このイワシフライ、別においしくない。というか今まで強烈に上手いイワシフライを食べた覚えもない。それどころかイワシフライを日高屋以外の場所で食べたこともないはずだ。だからこのイワシフライが別においしくないという評価は、一切の評価軸を持たない。俺にとってはこのイワシフライだけがイワシフライだ今のところ。でも昨日ふとあのイワシフライ定食をまた食いたいと思ったから、今日の夕飯にした。やっぱり別にうまくない。また食べたいと思ったのは、油の中毒性ゆえかギョーザも付いてるからか。1340キロカロリーのイワシフライ定食を食べるのはこれで2回目だった。

 

イワシフライ、まあアジフライでもいいが、実家に住んでる頃、食卓にそれが出てきたことはない。いま思い出したが、小中学校の給食には2月に1回の頻度でアジチーズフライが出されていた。俺はこれも食べたことがない。チーズが嫌いなのだ。必ず近くに座る男友達にそれをあげていた。彼らはパサパサのパンでアジチーズフライを挟んで食っていた。俺はそのパンも嫌いだったからパンもあげた。彼はアジチーズフライバーガーを2個食べていたことになる。もちろん俺の腹は減ったことだろう。だから小学生の頃は放課後家に帰ってから母とかなり遅い昼食を一緒に食べていた。中学生の頃の俺は空腹だから部活に身が入っていなかったのかもしれない。苦手なメニューが給食された日の午後、俺はどうやって乗り切っていたんだろう。

俺がイワシフライ定食を食べたいと思うのは、あの頃食べられなかった分のアジフライをイワシフライにごまかしてでも食べてやろうという無意識の食欲のせいだろうか。人生の幸福と不幸の総量は決まっているというように、人生で食べるアジフライの総量も決まっているのかもしれない、んなわけない。

 

イワシフライのアジフライへのゆるいシフト、俺の経験不足ゆえか、はたまた繊細さの欠如か。今度はアジフライを食べるだろう。