夢は愚かな避難所

一生見られそうもないものなど、見たいとも思わぬ。

上手なアルコールとのつきあい方って、畢竟、上手に生きるってこと

上京する前は酒を飲んで酔っぱらってもわりと明るくハメを外すタイプだった。それが東京に来てからというものたくさんの人に何度も酒で迷惑をかけることになった。

さいきんは誰かといっしょに飲むこともめっきり減って、ひとりほろ酔っぱらうようになったんだけど、それでやっとじぶんが酒を飲むとどうなるのかってのがわかった。

酒を飲んで酔っぱらうとそのときの感情が掃除機(追記:あの、外で使う砂ぼこりとか落ち葉とか吹き飛ばす掃除機思い浮かべてました)で風船を膨らますみたいに増大する。すぐはじける。その風船が黄色だったら、まあ黄色は喜びの比喩なんですけど、そしたら多分ハッピーな気持ちがドカーンはじけて周りの人も楽しませられるくらいになれるんじゃないか。でも実際のおれはいつもレッドバルーンだったから人に迷惑かけまくってきたんだなって、やっと気づきました(レッドはもちろん怒りの比喩です)。

だいたい酒を飲みまくるときってイライラしているときだし、たまに楽しい酒を飲みまくっても、めちゃくちゃにアルコールを摂取したら、そのアルコールのせいで気分悪くなって怒りモードになるじゃん。ね、体調悪くなってイライラするわけ。


さいきんひとりで飲んでる、それでめちゃくちゃに怒ったことなんてないです。だってひとりで飲んで誰に、何に、怒るの?だからいつも悲しくなるか陽気になるかのどっちか。

こないだ酒飲みながら『インサイドヘッド』見てたらボロ泣きした、制作者のターゲット層とは違う需要の仕方で、泣きましたよ。
思春期を迎えた少女がヨロコビとカナシミを失うかもしれない危機に知らず知らずのうちに陥ってしまって(多分死ぬまで、彼女はじぶんがそんな危ない事態にあったことなんて知りえない)、でもなんとかその危機を脱するなんて、泣けるでしょ。今年死んだ母の遺したメモを読んで「いつからきみはそんなにじぶんを押し殺すようになったの」なんて彼女がおれに対して思っていたことを知った後じゃ、そりゃボロ泣きもするよ。


さいきんまた生活リズムが狂ってしまってさっきツタヤの返却に行った帰りにコンビニで酒買っていっきに酔っぱらって眠る作戦を取ることにしたんだけど、中途半端な量だったから、逆に興奮して、右手の小指が痛くなるってのにこうやってタイピングしてる。

がんばろうね。来年こそは。オリンピックイヤーだし。一日多いし。




ちなみに「畢竟」って言葉は浪人時代に通っていた予備校の国語担当の先生がつくっていた「現代文単語辞典」で学んだもの。その先生は今年結婚してずいぶんと美しい花嫁姿をLINEのアイコンにしていて、さびしい。

趨勢は朝井リョウ

――朝井さんのなかでのリア充の定義はありますか?

世間で言う「リア充」は、「自分よりも考えが浅い人」を指していると思っています。リア充って他称なんですよ、今や。もともとは、友達が多い人、恋人がいる人という意味だったと思うんですが、今はバーベキューをする人、スポーツバーでサッカー観戦をする人とかを、「自分より思慮深くない」という意味で「リア充」と括っている人が多い気がします。

そういった「自分は思慮深い」と思っている人を、「まさか」というところから驚かせたい気持ちはありました。僕自身、ストリートダンスサークルに所属して、クラブでダンスバトルをしながらも小説家デビューした、というのもその一環です。作家を夢見る早稲田の読書家たちが、一番脅かされたくなかっただろう人に脅かされている顔を見たかった。そういう気持ちが、直木賞をいただいても全然薄まらなかったことに絶望しています(笑)。

――朝井さんと同年代の方、特に早稲田生には「朝井リョウコンプレックス」があるらしいです

超嬉しいです。立ち直らせたくない! 一生!

 完敗っすわ。



おれの目に渋谷がこんな綺麗に見えたことはない。



さいきん気づいた、金持ちは貧乏ごっこできるけど、貧乏人は金持ちごっこできないんだね。


負けを認めたからって勝者を認めたことにはならないんだなあ。

afterword

あとがきだけ書きたい。

あとがきはすなおだ。もしもめちゃくちゃかっこつけてても、かっこつけたいという気持ちはストレートに見えちゃうからすなおだ。

あとがきはずるい。まだ書いてもいない本の構想を語ることほどみっともないことはないなんて、誰かが言ってたけど、あとがきだってかなりみっともない。でも、構想を語り散らすよりは、マシだ。だって、それは後書きだから。少なくとも、いちばんみっともないあとがきですら、やったことへの言い訳だから。やらなかったことへの言い訳じゃなくて、やりきれなかったことへの言い訳だから。


みんなも本当はあとがきだけ残したいんじゃないの?だけど、書かなきゃ後ができないから、無理やり書いているんじゃないの?あとがきはとっておきのご褒美なんじゃないの。


でも、文庫版あとがきって、そりゃあちょっとないよ。そんなもんは、既得権益だって言っても大げさじゃないだろう!やっぱり、あとがきだけ書きたい人間ってのは、おれだけじゃないんじゃないの?

恥ずかしくない?

駅の反対側のスーパーの帰り道、かすかにノイズが聞こえる。水道管の中を水が流れているみたいな音。

駅の反対側、とは言っても、その駅は自宅の最寄り(と不動産屋が定めた)駅のことで、渋谷に向かうとき、最寄り駅(自宅から徒歩7分くらい)の次に各駅停車の電車が停まる駅(自宅から15分くらいで着く、不動産屋の定めた最寄り駅は、実に正しい)と自宅の間くらいに、そのスーパーはある。このスーパーに行くようになったのは、隣駅の名前を冠したツタヤの方が最寄り駅の名を頂いたツタヤより安くでDVDを貸してくれるということを知ってからだろう、その安くで借りれるツタヤからの帰り道にそのスーパーがあって家の近くにもけっこう安くで物を買える店があるんじゃないか! と嬉しかった。しかもそこにはかわいい店員さんがいる(いまどき珍しくレシートには店員のフルネームが印字されるから、おれは彼女を「知っている」)。
おまけに。ラッキーなことにそのスーパーにはおれの大好きな「シベリア」が売っていて、だからよく来る。シベリアが食べたい日には隣駅で降りて歩いてこのスーパーに寄りながら帰る。今日はシベリアがなかった。遅い時間に行くと売り切れるのか、棚から消えていることが多い。早い時間に赴いても見当たらないこともあるけど。


ノイズがだんだん大きくなる。水道管の中を動く水のように聞こえていた音がひとつひとつ粒だって聞こえてくる。多分、火事を知らせるアラーム。だんだん音が大きくなるってことは火事が起こっているかもしれない場所におれが近づいているってことなはずだけど、向かい側から歩いてくる人たちはいたってふつうの顔。そりゃそうか。

自分の家に近づくに連れてその音が大きくなってくるから、おれの鼓動も少しだけ大きくなる。自分の部屋が燃えるのは嫌らしい。

しかしそのアラームをビリビリ鳴らしていたのは近所のわりと豪華なマンションで、住民の方々が心配そうにたくさん並んだ大きな窓ガラスを見つめている。わりと若いカップルもいて、こんな人があんな2LDKはあるマンションに恐らく自力で住んでいるのはなんとも立派なことだと落ち込む。おばさんもお兄さんもお母さんも服装だけだとおれと変わらない。とはいえ彼らのは家着だろう。


ワクワクしてくる。どこの部屋からも火の手はあがってなさそうだ。早くバックドラフトしないかな、と、ワクワクしてくる。かといって立ち止まって野次馬に加わるのも気が引ける、いったん両手を塞いだ買い物袋を家に置いて、一本酒を煽ってから再び歩きながらマンションを眺めに行った。まだ爆発していない、火の手も上がっていない。杞憂かな、と思いながら、立ち止まってマンションを見上げるのはやっぱりなんだかできなくて、そうだ、と思い立ち、ずっと発券していなかったライブチケットをもらいにコンビニに行きながらも、おれの野次馬はしっかり猛りつづけている。


無事に発券完了、三度マンションの前を歩くと、どうやら何事もなかったらしいことがわかった。おじいさんが警察官に「もう入っていい?」と聞いて、許可されていた。マンションを見上げていた人たちが次々と去っていく、あれ、マンションから遠ざかっていく人も案外多い、みんな野次馬であることを少しも恥ずかしがらないんだな、野次馬だもんな。

マンションの前の通りを左に曲がって自分の家に向かうところで、上下スウェットにadidasのサンダルをつっかけたおじさんが、左手に銀色のボールを、右手に泡立て器を持って多分ホットケーキミックスと牛乳をかき混ぜながらマンションの方向へ向かって歩いていった。
住人か、遅れてきた野次馬か、は、わからなかった。


火事は見れなかったけど、ずっと発券できていなかったチケットを手にできたし、まあいっか。



なんかさ、ライブチケットの発券って、恥ずかしくない?

コスモス

鮮やかなさよなら 永遠のさよなら 追い求めたモチーフはどこ
幻にも会えず それでも探していた今日までの砂漠
約束の海まで ボロボロのスポーツカー ひとりで行くクロールの午後
きみの冷たい手を 温めたあの日から 手に入れた浮力

囁く光浴びて立つ きみを見た秋の日
寂しげな真昼の月と西風に 揺れて咲くコスモス
二度と帰れない

鮮やかなさよなら 永遠のさよなら 追い求めたモチーフはどこ 
幻にも会えず それでも探していた 今日までの砂漠

あの日のままの秋の空 きみが生きていたなら
かすかな真昼の月と西風に 揺れて咲くコスモス
二度と帰れない

鮮やかなさよなら 永遠のさよなら 追い求めたモチーフはどこ 幻にも会えず それでも探していた 今日までの砂漠

スピッツ 「コスモス」


遠く離れる母を自分の暮らすところへ呼び、生まれたばかりの自分の子供、つまり母の孫にあたる赤ん坊に会わせるのは「母に失礼だからとてもできない」から「できたら子供を連れて母の所にあいさつに行きたい」と言った男の話を「ありえない話」として聞かされ、至極当然「ありえない話」としておれは受け入れかけたけど、立ち止まってしまった。 それはあってはならないことなんだろうか。
そうかもしれない。嫁姑問題がこんなにもメディアを通して茶の間に浸透したいま、この男、夫の姑への思いやりは、初産を終えたばかりの妻に対してやはり配慮に欠ける行為だとはおもう。
でも、なんだか、ふつうの男ってのは、すごく母を思いやってしまう生き物なんだろうなと、ふと感じてしまった。

翻っておれは、母を思いやることに対して勝手に困難を覚えてしまって彼女を傷つけ、自分の気持ちをないがしろにして、ついには、もうちょっと思いやったら?なんて人に忠告されるほどまで、思いやることを過度に嫌った、いやこの際はっきり言うけど、マザコンにならないように自分を律しようとしすぎた。



人はひとりで生まれてひとりで死んでいくなんて言うけど、孤独に生まれて孤独に死んじゃいけないと思う。


最後に電話したとき、「私はあなたに何を言われても自分の子供だったから大丈夫だって思ってきたしあなたにもそう言ってきたけど、ごめん、いまはちょっとキツい」と言われた。今となっては、心身ともに限界近くなったから出た言葉だとわかるけど、そのときは彼女が夫との問題に悩みきってそんな弱音を吐いたとばかり思っていた。もちろんあの言葉にはたじろいだけど、悩みから来る一時的なものだと思っていた。
ちょっと考えれば分かることだ、あの人は、自分の悩みで子供の言葉を受け入れられなくなってしまうような弱い人ではなかった。終わりを感じたから言ってしまったんだろう。


おれらのよく知る女は親を最期まで面倒見るという面倒なことになったらしい。
それに比べたらあまりにも「鮮やかな 永遠のさよなら」だったわけだけど、そしてそのことに今日までめちゃくちゃ甘えてきたけど、さいきん好きになったスピッツのこの曲を寝る前に改めてじっくり聞いていたら泣けてきた。勢いに任せて生前彼女が好きだった曲を何曲か立て続けに聞いたけど、いつのまにかこぼしてる涙がまったく自分のためになったことに気づいて、だったらいっそのこと、と、自分のためにこんな文章を書いて今日にケリを付けさせてもらいました。
 

こんな小春日和のおだやかな日はあなたのやさしさが沁みてくる
明日嫁ぐ私に苦労はしても笑い話に時が変えるよ心配いらないと笑った

 

妹にこんな言葉をかけてくれる人がもういなくなったのは本当にかなしい。
キッチンで換気扇の下に座って煙草を吸いビールを飲む母と、冷蔵庫にもたれてベタッと座りこんだ妹が話している光景はよく目にしたけど、彼女らがどんな話をしていたのかはまったく知らない。

パンケーキじゃがまんできない

きみは素直だね、とたまに言われる。身に覚えがない。どういうときに「きみは素直だね」と言われたのか思い出せない。そう言ってきた人間は思い出せるけど。

素直と正直は違う、と誰かが言っていた。誰か思い出せないからどこかで読んだのかもしれない。何がどう違うのか説明していたかいなかったか、覚えていない。思い出せもしない。


多分、素直と正直の違いは、自覚的か否かにあるんじゃないか。素直は無自覚、正直は自覚的、意志的。
たとえば、正直な人は嘘をつかない、その一方で素直な人は嘘をつけない。もしかしたら、正直さは身に着けていくもので、素直さは生来のものかもしれない。

きれいな人のすっぴんは見たいけど、ブサイクな人にはちゃんと隠してほしいと思ってしまうように、心が清い人の素直は眩しいけど、心が荒んでいる人の素直は見苦しい。だからおれが本当に素直な人間なら、正直さを身に着けていくか、心をピカピカに磨かないといけないような気がしている。


こんなこと思ったの多分生きててはじめてなんだけど、おれはいま性格を良くしたい。それが正直になることなのか、心をピカピカにすることなのかはまだ分かってないけど。
人をちゃんと思いやりたい。誰を思いやりたいのかもちゃんと見極めたい。思いやれない人にちゃんと別れを告げたい。思いやれなかった人にちゃんと思い馳せたい、遅いけど。「二十五才の皮膚はどんなに多く罪の軟膏を塗るであろう」と少女マンガ映画と『サルチネス』とテロにまつわる言説と無い頭で少しだけ読んだ『偶然性・アイロニー・連帯』と数少ない人間関係から、そんなことを思った。
あと、背伸びは性に合わないので、猫背でとぼとぼ歩く自分を受け入れていこうとも。

きょうは「HKT48のおでかけ」がとっても面白かった。

とぼとぼ生きたいよ。明日はホットケーキを食べよう、ここ何日、ずっと食べたかったんだ。



なんか、我慢できないっていいな、って。
この歌はマエケンが歌った方がやっぱりいいんだけど、テレキャス一本でやってるのはYouTubeには他になさそうだからこれを上げました。あと、このライブ本当に行きたかったんだけど別用があって止めたんだ、今でも残念に思う。こんな風に思っててごめんな。

ホットケーキのために寝よ。パンケーキじゃなくってホットケーキ。
ホットケーキミックス! グッモーニン! グッナイ!

 

 

【追記】マエケンのレコーディング風景と音源もふつうに上がってたのでそっちも上げる。やっぱりマエケンの歌だあ、なあ。

おれにとってのマエケン前野健太です。

棚上げ

 自分のことを棚に上げないと、何も言ってやれません。
 飾るために置くんじゃなければ、相手も分かってくれるんじゃないでしょうか、どうでしょう、分かりません。

 アナウンサーになりたい?  どのツラ下げて言ってんだよ。
 就職留年? そりゃあダメだよ、諦めるのはまだ早いでしょ。
 自殺かあ、それならおれも誘ってほしいなあ。なんて。すんなよ絶対。
 ちょっとでも疑問に思ったらさっさと捨てろ、若いうちはたくさん数こなした方が楽しいって。
 あ、これはすこし飾りました。


 自分のことを棚から下ろすと、ろくな言葉が出てこなくなりました。
 うんうん、わかる。えらいね。すごいね。おれもがんばんなきゃ。

 バリ封、3階からあっさり終結。
 全裸の男の子が手足を縛った状態で首吊り。
 下痢が治らない。
 鼻から血の匂いと味がする。

 体は大事にね。
 ちゃんとご飯食べるんだよ。
 早寝早起きしていれば、チャンスが来たとき、ものにできるよ。
 はいはい。わかりましたよ。うん。じゃあまた。おやすみ。はーい。はいー。

 たぶん、初仕事は、棚上げだったのかね。重かったねえ。
 おつかれさまです。飾り気なくておれけっこう好きでしたよ。でも自信なさそうにいつも片手添えてて、それがなんかシャクでした。堂々としてよ、してよかったよ。

 黒み。